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下地島遠征

キャラバン、念願の下地遠征に行ってきました!

宮古島に着くと、独特のムッとした湿度に包まれる。
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空港から平良港まで移動し伊良部島へ渡る。
伊良部島の玄関佐良浜港からタクシーで20分・・・

遂に下地島空港エンド到着!!
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しかし、ここまで来て緊急事態発生!!

大量に買った水と帽子で武装しても、熱中症になるほど暑い!!
体が外で30分も持たない本土の夏並である。
そして日陰など休む所が全くない!!(想定はしていたが)
日陰に入る為には来た道を伊良部島方向へ数キロ延々歩かなければならないのである。

往路タクシーのオジサンがえっ?大丈夫?と心配してたのはこの事だったのか…

車は移動・休憩手段として下地島では必需品なのであった。
それにしても下地島はなーんにもない。コンビニ・自販機・スーパーなんかあるはずもなく、
有るのは空港から伸びるフライパンのようなアスファルトと空から降り注ぐ強烈な太陽光線ダケである。

体が耐えられる30分間必死で撮る!!
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飛行訓練が休止したため、休憩場所を求め今来た道を数キロ戻り、伊良部島に向かうキャラバンであった。

途中カメラ人生初の暴挙をやらかす。
沖縄の暑さと疲労に耐えられずカメラバックを下地島の道端に捨ててきたのである。勿論カメラも入れて。
下地でカメラを捨て、移動手段もない。一体何しに来たのか。
カメラのない自分を例えるなら、小銃を持たない歩兵・主砲のない戦艦大和状態である。



結局3時間も居ることなくタクシーを呼び、途中カメラを回収し帰路についた。




話は変わりますが・・・
宮古島で久松五勇士の碑に行ってきました。
観光客なんかまず立ち寄らない感じの碑ですが…
日露戦争の英雄・久松五勇士って知ってますか??
↓wikiより

1905年、ロシア海軍のバルチック艦隊が極東へ向かっていた。5月23日、奥浜牛という那覇の帆船乗りの青年が宮古島付近を北上しているバルチック艦隊に遭遇した。バルチック艦隊も彼を視認していたが、龍の大漁旗と、独特の長髪のために中国人と判断して捕えなかった。奥浜は宮古島の漲水港(現・平良港)に26日午前10時頃に着き、駐在所の警察官とともに役場に駆け込んだ。

宮古島は大騒ぎとなった。当時の宮古島には通信施設がなかったため、島の重役・長老達の会議の結果、石垣島にこの情報を知らせる使いを出す事となり、松原村の垣花善・垣花清・与那覇松・与那覇蒲と、久貝原の与那覇蒲(同姓同名)の漁師5人を選抜した。5人は15時間、170キロの距離をサバニを必死に漕ぎ、石垣島の東海岸に着いて、さらに30キロの山道を歩き、27日午前4時頃、八重山郵便局に飛び込んだ。局員は宮古島島司(島長)からの文書を垣花善から受け取って電信を那覇の郵便局本局へ打ち、電信はそこから沖縄県庁を経由して東京の大本営へ伝えられた。

日本本土への連絡は信濃丸によるものが数時間早かったため、この情報が直接役に立つことはなかった。その後5人の行為は忘れられていたが、昭和時代に入り、この事実が発掘され教科書に掲載されると一躍評価が高まり、5人は沖縄県知事から顕彰され郷土の英雄となった。


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